EC-JOY!ギフトはこちら→    
三社祭とは
■ 三社祭
■ 浅草神社と浅草寺
■ 昔の祭礼
■ 今の祭礼
浅草寺の見どころ
■ 雷門
■ 仲見世通り
■ 宝蔵門
■ 浅草不動尊
■ 二尊仏
■ 弁天堂
■ 浅草寺
■ 浅草神社
■ 二天文
江戸三大祭
■ 江戸三大祭とは
■ 神田明神の神田祭
■ 富岡八幡宮の深川祭
■ 日枝神社の山王祭
浅草のお土産といえば
■ 舟和
■ 浅草きびだんご あづま
■ 木村屋本店
■ 浅草ちょうちんもなか
■ 舟和
■ 浅草九重
三社祭とは
 ■ 三社祭
三社祭は毎年5月に行われる東京都台東区浅草の浅草神社の例大祭です。
昔の祭りは3月17日、18日の両日に行われ、【丑・卯・巳・未・酉・亥】の1年おきに本祭が行われていました。
現在は5月第3週の金・土・日曜日に行われ、正式名称は「浅草神社例大祭」といいます。浅草神社の神輿3基と数多くの町内神輿が浅草界隈を練り歩く盛大なお祭りで、期間中には毎年150万人もの人々が見物に訪れ大変にぎわいます。
干支 絵本 神輿
 ■ 浅草神社と浅草寺
浅草神社は、浅草の総鎮守とされ明治政府の神仏離令により「浅草寺」と分けられるまでは一体でした。社殿は、慶安二年(一六四九)に三代将軍家光が観音堂(焼失)と同時に寄進したもので権現造りの重要文化財になっています。祭りも「観音祭」と呼ばれ、三月十七日、十八日の両日に行われていましたが、分離後、「観音祭」は「浅草寺」の法要としての「示現会(じげんえ)」と「浅草神社」の祭としての「三社祭」とに分かれ、それぞれ「示現会」は三月十八日に、「三社祭」は五月十七日、十八日(現在はこの日に近い土日)にとり行われるようになりました。
明治政府 徳川家光 重要文化財
 ■ 昔の祭礼
昔の祭りは3月17日、18日の両日に行われ、【丑・卯・巳・未・酉・亥】の1年おきに本祭が行われました。正和元年(1312年)から三社の神話に基づき船祭が始められたと言われています。
江戸時代には大祭前夜、神輿を観音本堂の外陣に安置されました。びんざさら舞も堂前の舞台で行われていました。そのことからもわかる通り、当時は浅草寺と一体となった祭りで、「観音祭」又は「浅草祭」と呼ばれました。
昔の氏子は観音の縁日にちなみ十八ヶ町あり、南から諏訪町、駒形町、三間町、西仲町、田原町、東仲町、並木町、茶屋町、材木町、花川戸町、山之宿町、聖天町、浅草町、聖天横町、金竜山下瓦町、南馬道町、新町、北馬道町、田町がそれでした。
このうち材木、花川戸、聖天を宮元三ヶ町と呼び、すべてを総称して浅草郷とも千束郷とも云いました。
祭礼は今のように本社神輿をかつぎ廻ることよりも、むしろ氏子十八ヶ町や、片町、茅町、天王町、黒船町、三好町などから繰り出された山車が中心で、各町がおのおのの趣向で行列の勢いと絢爛さを競い合ったようです。この様に昔の祭礼は蔵前筋や浅草橋の各町にまで及ぶ広範囲のものでした。祭礼当日の早朝、山車を中心とする祭礼行列は浅草見附の御門外に集合しました。御蔵前から諏訪町、並木町と並んで仲見世から境内に入り、観音堂に安置された神輿の前に参詣の上、おのおのの芸能を演じ、随身門(二天門)を出て自分の町へ帰りました。これが終わると「お堂下げ」と云って神輿三体を本堂からおろし、一之宮を先頭に浅草御門の乗船場まで担ぎます。
待機していた大森在住の漁師の供奉する船に神輿をのせ、浅草川(隅田川)を漕ぎあがって駒形から上陸し、浅草神社にかつぎ帰ったと云われています。
この船祭は江戸末期まで続きました。明治に入って廃絶し、明治五年から5月17日、18日の両日に祭礼を行い、現在の氏子各町に神輿の渡御を行うようになりました。
浅草 観音 氏子 隅田川
 ■ 今の祭礼
氏子四十四ヶ町と浅草組合で構成される浅草神社奉賛会により運営されています。
江戸下町の風情を残した勇壮で華やかなお祭りで、町会毎にそろいの半纏をまとった勇ましい担ぎ手達が、威勢良くお神輿を担ぎます。浅草の町全体をお神輿が練り歩く様は圧巻です。
現在は交通事情や各町の情勢変化で、慣例通りの5月17、18両日の大祭執行が不可能となり、昭和38年から17、18日に近い土日に斎行されるようになりました。現在は、17、18日に近い金土日の3日間で斎行されています。
初日の金曜日は、お囃子屋台・金棒・鳶頭木遣り・総代・各町役員・びんざさら舞・芸妓連の手古舞・組おどり・白鷺の舞・屋台で編成された「大行列」が浅草の町を歩きます。また、浅草神社の社殿と神楽殿で、東京都無形文化財に指定されている「びんざさら舞」の奉納が行われます。中日の土曜日には、「例大祭式典」のあと、正午より「町内神輿連合渡御」が行われます。浅草氏子四十四ヶ町の町内神輿約100基が浅草寺裏広場に参集、一基ずつ発進し、浅草神社でお祓いを受けた上で各町会に渡御します。最終日の日曜日は、朝6時に浅草神社の本社御輿三基が神社境内から発進する「宮出し」から始まります。その後、本社御輿が各町会を渡御する「本社神輿各町渡御」を経て、夕刻に浅草神社へ戻る「宮入り」となります。
3日間で150万人の人出が見込まれる三社祭は、東京の初夏を代表する風物詩の一つになっています。
無形文化財 町会
 TOPへ戻る

浅草寺の見どころ
 ■ 雷門(かみなりもん)
浅草寺といえば・・・思い浮かべるのは『雷門』ではないでしょうか。目の前の道路(雷門通り)には平日でも写真を撮る観光客や人力車がとまっていて大変賑わいをみせております。
浅草寺の正面入口、最初の門は平公雅によって浅草寺の総門として942年(天慶5)に建てられました。江戸時代には3度の火災によって焼失しました。最初は1642年(寛永19年)、1649年(慶安2年)徳川家光によって建てられた門は右に「風神」左に「雷神」を安置してあるところから正しくは「風雷神門」、略して雷門と呼ばれた。2度目は1767年(明和4年)、3度目は1865年(慶応元年)の火災に遭って以来、昭和35年再建されるまで、95年間のあいだ雷門は幻の存在だったことになります。
現在の雷門は鉄筋コンクリート製で、松下電器の松下幸之助氏の寄進で、昔の姿そのままに再建されています。
雷門を向って右側が『風神』、左側が『雷神』です。
雷門 江戸時代 火事 松下幸之助
 ■ 仲見世通り(なかみせどおり)
雷門から浅草寺境内に向かう約250メートルにたくさんの小店が並んでいます。お土産物を買うもよし、食べ歩きをするのもよし、見て・食べて楽しめるスポットです。
仲見世は日本で最も古い商店街の一つです。徳川家康が江戸幕府を開いてから、江戸の人口が増え、浅草寺への参拝客も増え賑わいを見せておりました。
それにつれ、浅草寺境内の掃除の賦役を課せられていた近くの人々に対し、境内や参道上に出店営業の特権が与えられました。これが仲見世の始まりで、元禄、享保の頃といわれます。江戸時代には、伝法院から仁王門寄りの店を役店"やくだな"と呼び、20件の水茶屋が並び、雷門寄りは平店"ひらみせ"と呼び、玩具、菓子、みやげ品などを売っており、次第に店も増え日本でも一番形の整った門前町へ発展していきました。
政府は新しく東京に5公園を作り、公園法を制定して以前からの一切の特権が仲見世から取り上げられました。明治18年5月(1885年)東京府は仲見世全店の取り払いを命じ、泣き泣き退店した後、煉瓦造りの洋風豊かな新店舗が同年12月に完成、近代仲見世が誕生しました。
仲見世 商店街 商い
 ■ 宝蔵門(ほうぞうもん)
浅草の門といえば『雷門』のイメージが強いですね。その雷門をくぐって、仲見世通りを抜けるとまた立派な門が見えてきます。その門が『宝蔵門』です。
宝蔵門には"大わらじ"が飾られています。高さ4.5m、幅1.5m、重さ500s、藁を2,500s使用しています。山形県村山市有志より平成20年10月奉納されたもので、昭和16年の初回以来7回目です。わらじは仁王さまのお力を表し、「この様な大きなわらじを履くものがこの寺を守っているのか」と驚いて魔が去っていくといわれています。
わらじ 山形県 村山 仁王
 ■ 浅草不動尊(あさくさふどうそん)
浅草不動尊は宝蔵御門の手前にあります。厄よけ、開運、虫封じに御利益のある寺として、参詣者に親しまれています。浅草不動尊の左脇には「撫で地蔵さん」が居ます。「撫で地蔵さん」は、金属製で合掌した僧侶の姿を形どっています。座像といっても、左ひざを降ろしています。その理由は、そのひざをなでるためです。ひざに疾患のある人は、仏像のひざをなでるのです。しかし、ひざに限らず、「撫で地蔵さん」の名の通り、お参りをする人たちは、仏像のあらゆる部位を、なでるのです。
厄よけ 開運 風水 僧侶
 ■ 二尊仏(にそんぶつ)
「濡れ仏」の名で知られる二尊仏は、貞享4年8月に、江戸時代初期に神田鍋町の太田久衛門正儀によって作られました。この二尊仏は、観音、勢至の二著薩から成り、像の高さは共に2.36mで、蓮台を含むと4.5mにも及びます。願主は、上野国(現、群馬県)の高瀬善兵衛という人で、かつて奉公した日本橋伊勢町の米問屋への謝恩と菩提のために建立しました。観音像は、旧主善三郎の菩提を弔うため、勢至像はその子次郎助の繁栄を祈るためと、蓮弁台座銘に記されています。
 ■ 弁天堂
本堂の東南に、弁天山と呼ばれる小高い丘に建つお堂におまつりされているのが"弁天様"です。白髪のため「老女弁財天」と呼ばれ、「江の島」(神奈川県藤沢市)、「布施」(千葉県柏市)とともに関東三弁天の一つに数えられています。縁日の「巳(み)の日」にお堂の扉を開き、法楽が営まれる。お堂に向って右手前の鐘楼の鐘は、元禄5年(1692年)第5代将軍徳川綱吉の命により下総国関宿藩主牧野成貞が金200両を寄進し、改鋳されたものです。江戸時代の「時の鐘」の一つで、松尾芭蕉の句「花の雲 鐘は上野か 浅草か」で有名な鐘です。
鐘楼は昭和20年3月の東京大空襲で焼失し、昭和25年に再建されたものですが、鐘は幸いにも無事に残り、現在でも毎朝6時に役僧によってつき鳴られています。
江の島 徳川綱吉 時の鐘
 ■ 浅草寺
628年3月18日未明のことでした。今の隅田川に投網漁をしていた漁師の檜前浜成(ひのくまのはまなり)、竹成(たけなり)兄弟の網に一体の仏像がかかりました。それを豪族の土師真中知(はじのまなかち)は、尊い観音像であることを知り、深く帰依して自宅を寺とし、その観音像を奉安し、礼拝供養に勤めました。これが浅草寺のはじまりです。
645年、勝海上人がこの地に留まり観音堂を建立しました。また夢告によりご本尊は秘仏と定められ武蔵国の観音信仰の中心地となりました。現在の本堂再建工事にあたって出土した数々の遺物から、金龍山浅草寺は少なくとも平安期には大寺の伽藍をここ武蔵野の一漁村に構えていたことが判りました。
平安期はじめ、慈覚大師の巡拝により伽藍の整備が行われ、その後一層信者の層も厚くなりました。それ以来、慈覚大師を中興開山と呼んでおります。
鎌倉期以降になると将軍自ら帰依するに及び、名将たちの篤い信仰を集めていよいよ観音霊場として知られるようになりました。
江戸時代、天海僧正(上野東叡山寛永寺の開創)の進言もあって、徳川幕府の祈願所と定められ、いわゆる江戸の信仰と文化の中心として庶民の間に親しまれ、以後の隆盛をみるようになったのです。
今日、江戸・東京の発展は江戸城構築からの徳川幕府にはじまると思われがちですが、こうして浅草というところは古くから宗教的にも文化的にも江戸の拠点であった訳です。江戸が東京にかわったときでも、文明開化の先駆的な役割を果たし、庶民の信仰と文化の一大中心地として機能してきたことも当然といえます。
観音像 江戸城 徳川幕府
 ■ 浅草神社
江戸市中の多くの寺院の中でも最古の寺で、幕府の庇護とその政策により近隣に歓楽、遊興の街が形成されたことなどから多くの人を集め江戸一番の繁華街となりました。長い年月の間には浅草寺が受けた被害も多く、地震、雷、火事による被害は一部分のものを含め先の戦災まで入れると十数度に及びます。本堂は三代将軍徳川家光が1649年(慶安2)に再建し、約300年後の昭和20(1945)年の戦災で焼失するまで国宝に指定されていました。
最古 寺 繁華街
 ■ 二天文
本堂を正面に見て右側に浅草神社、さらに右奥にあるのが『二天門』です。浅草寺は、地震や火事などにより多くの被害を受けてきました。ですので、あまり古い建物が残っていませんが、二天門は江戸時代から残っている古い門です。門の両脇には増長天と持国天がいらっしゃいます。実はこの2体は上野の寛永寺から譲り受けたものです。平成22年(2010年)、改修により創建当初の様式に戻されました。

江戸三大祭
 ■ 江戸三大祭とは
東京で行われる大きなお祭りのことをいいます。浅草の三社祭も江戸三大祭と紹介されているのを見かけますが、正確には田明神の神田祭、富岡八幡宮の深川祭、日枝神社の山王祭のことをさすようです。戸中心地をそれぞれ氏子に持つ神社の祭りで、昔から「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」と謳われていました。
祭り 東京 神田祭
 ■ 神田明神の神田祭
神田祭は2年に1度の開催が恒例です。2011年は東日本大震災の影響で、予定されていた「神幸祭」や「神輿宮入」が中止となり、2012年は蔭年だったため2013年は4年ぶりに開催されました。また、京都・祇園祭(八坂神社)、大阪・天神祭(大阪天満宮)とも並び、日本三大祭りのひとつともされています。
東日本大震災 祇園祭 天神祭
 ■ 富岡八幡宮の深川祭
富岡八幡宮の例祭は8月15日を中心に行われます。俗に「深川八幡祭り」とも呼ばれ、赤坂の日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭とともに「江戸三大祭」の一つに数えられています。3年に1度、八幡宮の御鳳輦が渡御を行う年は本祭りと呼ばれ、大小あわせて120数基の町神輿が担がれ、その内大神輿ばかり54基が勢揃いして連合渡御する様は「深川八幡祭り」ならではのものです。
深川 深川 物語 深川 小説
 ■ 日枝神社の山王祭
神幸祭の艶麗で古風な行列と都心の町並みの対比は必見です。ほかにも、歴史の重みを感じる厳かな儀式や、神楽囃子や山王太鼓といった日本古来の芸能に触れられる出し物、民踊大会など見どころがたくさんです。
山王祭 太鼓 日本 芸能 囃子
 TOPへ戻る

浅草のお土産といえば
 ■ 常盤堂雷おこし本舗
創業から200年以上続くおみやげ店の老舗です。おこしは"家を起こし、名を起こし"と東京、浅草のみやげの代表格となっています。種類は、ピーナッツや胡麻、抹茶など約50種類以上、種類も豊富で味も豊富!東京土産にはもってこいです。

住所: 東京都台東区浅草1−3−2
電話番号: 03-3841-5656
定休日:無休
営業時間:9:00〜20:30

公式サイトはこちら
老舗 ピーナッツ 抹茶 土産
 ■ 舟和
舟和といえば、芋ようかんです。さつま芋を一本一本手で皮をむき、甘藷と砂糖、少量の食塩で、芋そのままのやわらかい味に造りあげています。日持ちしない商品なので旅行に来た際には必ず賞味期限を確認することをお勧めします。しかし短い日持ちは本物の証。舟和がこだわり続けた素朴な風味の芋ようかん、是非いかがでしょうか。

【本店】
住所: 東京都台東区浅草1−22−10
電話番号: 03-3842-2781
定休日:無休
営業時間:10:00〜19:00、土曜は9:30〜20:00、日曜、祝日は9:30〜19:30
【仲見世一号店】
住所: 東京都台東区浅草1−20−1 
電話番号: 03-3844-2781
定休日:無休
営業時間:10:00〜18:00

公式サイトはこちら
さつま芋 さつまいも ようかん 和菓子 蜜芋
 ■ 浅草きびだんご あづま
江戸時代に仲見世に実在した門前のきびだんごを再現し、実演販売をしております。
粋な兄さんや下町娘の元気な売り声もお楽しみ下さい。夏季の冷し抹茶や冬季の甘酒も大好評です。きびだんごと一緒にいかがですか?また、ご自宅でできたてが召し上がれる「おみやげきびだんご525円(10本入)」やきびと抹茶を使った焼菓子「きびサブレ350円」もお持ち帰りには最適です。

住所: 東京都台東区浅草1−18−1 
電話番号: 03-3843-0190
定休日:無休
営業時間:9:00〜19:00(売り切れ次第閉店)
甘酒 焼菓子 下町 散歩
 ■ 木村屋本店
浅草で最も古い人形焼き店です。浅草寺本堂から雷門に向かうまでの仲見世で、左側一番目にあるお店です。
明治元年の創業以来、初代の味を頑固に受け継いでおり、初代が浅草の名所にちなんで考案したのが、五重の塔・雷様・提灯・鳩の四つの型です。

住所: 東京都台東区浅草2−3−1  
電話番号: 03-3841-7055
定休日:不定休
営業時間:9:00〜18:00

公式サイトはこちら
人形焼き 提灯
 ■ 浅草ちょうちんもなか
駄菓子屋の最中を今風にしたアイスもなかは、大人から子どもまで喜ばれる人気の逸品!アイスは定番が6種類、季節限定が2種類あり、提灯をモチーフにした最中でサンドします。もなかアイスなので食べ歩きしやすいのがいいですね!

住所: 台東区浅草2-3-1
電話番号: 03-3842-5060
定休日:不定休
営業時間:10:00-17:30
最中 もなか 和菓子 アイスクリーム 食べ歩き
 ■ 浅草九重
浅草寺から三軒目。あげまんじゅうの実演販売のお店です。浅草九重のあげまんじゅうは、国産小豆を原料に、ほどよい甘さのまんじゅうを三種類の高級油をブレンドし、絶妙な油温でカラッと揚げています。
店頭ではお一つからお求め頂けます。良質の素材と江戸の職人技をお楽しみ下さい。

住所: 台東区浅草2-3-1
電話番号: 03-3841-9386
定休日:なし
営業時間:9:30?18:00/19:00頃

公式サイトはこちら
まんじゅう 職人技 菜種油 江戸 職人
 TOPへ戻る







Copyright (c) EC-JOY! All Right Reserved.