建国記念日 建国記念日の情報が盛りだくさん
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建国記念の日とは
■ 建国記念の日
■ 建国を記念する日

■ 紀元節から記念日へ
■ 建国は神話の中に
■ 建国記念「の」日
■ 2月11日になった理由
紀元節
■ 紀元節とは
■ 紀元節の廃止
■ 皇紀2600年と戦争
■ 神武天皇即位紀元

■ 戦後に皇紀が用いられた例
国家の日
■ 国家の日とは
■ アメリカ
■ イタリア

■ 大韓民国
■ フランス
初代天皇、神武天皇
■ 神武天皇とは
■ 名称
2月11日のその他の記念日
■ 万歳三唱の日
■ 文化勲章制定記念日
■ 干支供養の日
建国記念の日とは
 ■ 建国記念の日
2月11日は「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として、1966年に「建国記念の日」に定められました。
建国 日本国憲法
 ■ 建国を記念する日
神武天皇が即位した日を日本の建国された日として祝うこと(紀元節〔きげんせつ〕)は、戦後占領軍の意向で祝日ではなくなりました。しかしその後、紀元節を復活させようという動きが高まり、反対する動きを抑え建国を記念するための祝日を設けることとなりました。その際「紀元節」から「建国記念の日」に改正されました。そして、1966年に国民の祝日に認められ、翌年から適用されました。
「建国記念の日」が「建国記念日」ではないのは、史実に基づく建国の日とは関係なく、建国されたという事実そのものを記念する日だからだと言います。
聖武天皇 戦後 日本
 ■ 紀元節から記念日へ
日本の起源を祝日にしようという動きは、明治時代、神武天皇(初代天皇)即位の初日を日本の紀元(歴史が始まる最初の日)としたことから始まります。この、日本の紀元の日を「紀元節」といいます。紀元節は全国の神社で「紀元節祭」と呼ばれ祭事が催されていたほか、庶民の間でも「建国祭」として祭典が行われていました。しかし戦後になり「紀元節を認めることにより、天皇を中心とする日本人の団結力が高まり、再び米国の脅威となるのではないか」というGHQの意向で、紀元節は廃止されました。しかしその後テレビ局が行ったアンケート調査により、全国民の80%以上の人が「建国を記念する日」を望んでいるということがわかりました。その結果、1966年になり建国記念の日に関する提案が承認され、翌年1967年から適用されることとなりました。建国記念の日が成立するまでには「日本の正確な起源などわかっていないのに建国記念など定められない」など専門家による多くの議論があったようです。
記念日
 ■ 建国は神話の中に
建国記念の日は特別な行事は特にありません。ですので、この休日に日本の歴史を勉強してみることも面白いかもしれません。
日本書記では、日本国を統一したカムヤマトイワレビコノミコトとは、初代天皇になった神武天皇であると書かれています。イワレビノミコト(神武天皇?)は、現在の建国記念の日にあたる、辛酉元旦(現在の暦に直すと紀元前660年2月11日)に、大和の橿原〔かしはら〕の宮で即位したとされ、そこから2月11日を「建国記念の日」に定めたという説もあります。しかし、歴史学上では神武天皇は実在の人物ではなく「神話」として位置づけられているようです。
日本書紀
 ■ 建国記念「の」日
間違えがちですが、「建国記念日」ではなく 「建国記念の日」です。
『の』が入るのは“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるようにしたためで、 これにより「日本の起源が正確にはわかっていないのに建国記念など定められない」という考えに配慮しています。
 ■ 2月11日になった理由
制定された時点では、それをいつにするかは決まっていませんでした。このため「国民の祝日に関する法律」でも、建国記念の日だけは何月何日かが規定されておらず「政令で定める日」となっています。これを決定するために、別に有識者による委員会が設置され、結局2月11日となりました。

なお、日本共産党は「建国記念の日」を憲法違反として反対していましたが、現在では容認しています。
日本共産党 制定
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紀元節
 ■ 紀元節とは
1873(明治5)年から1948(昭和23)年まで祝日とされ、四大節(新年・紀元節・天長節・明治節)の一つとされていました。日本書紀による神武天皇即位の日・紀元前660年1月1日を新暦(グレゴリオ暦)に換算した2月11日を祝日と定めました。当初は1月29日でしたが、翌年から2月11日に変更されました。戦後、日本国憲法の精神にそぐわないとして廃止されましたが、昭和41年に「建国記念の日」として復活しました。
明治天皇
 ■ 紀元節の廃止
 1872年(明治5年)に制定された紀元節は、1948年(昭和23年)7月20日、国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)に制定された「祝日に関する法律」附則2項で、「休日ニ關スル件」(昭和2年勅令第25号)が廃止されたことに伴い、廃止されました。
 ■ 皇紀2600年と戦争

昭和15年(1940年)が「皇紀2600年」という節目にあたったことから、時節柄「神国日本」の国体観念を徹底させようという動きが強められていたこととも相まって、当時の政府は様々な行事を推し進めようとしました。

 折しも、昭和15年(1940年)が、日中戦争(1937年[昭和12年]〜1945年[昭和20年])真っ直中となり、政府は長引く戦局と窮乏する国民生活の疲弊感を様々な祭りや行事に参加させることで晴らそうとし、昭和15年(1940年)年初には橿原神宮の初詣ラジオ中継、紀元節には全国11万もの神社において大祭が行われ、展覧会や体育大会など様々な記念行事が全国各地で催されました。

 11月10日には、皇居宮城前広場で政府主催の「紀元二千六百年式典」が催され祝賀ムードは最高潮に達しましたが、戦時下の国民生活はますます厳しさを増していくこととなります。
式典に合わせて、「紀元は二千六百年 あゝ一億の胸はなる」という歌詞の、
 『紀元二千六百年(作詞:増田好生、作曲:森義八郎)』が作られ流行しました。

日中戦争 展示会
 ■ 神武天皇即位紀元
神武天皇即位紀元は、初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年(紀元)とする、日本の紀年法です。

略称は皇紀(こうき)という。外にも、皇暦(すめらこよみ、こうれき)、神武暦(じんむれき)、神武紀元(じんむきげん)、日紀(にっき)などともいいます。年数の英字表記では、「Koki」や「Jimmu Era」などといい、皇紀2660年を「Koki 2660」「Jimmu Era 2660」などと表記します。紀元節(現在の建国記念の日)廃止までは、単に「紀元」と言った場合には、神武天皇即位紀元(皇紀)を指していました。

西暦2013年は、皇紀2673年です。
 ■ 戦後に皇紀が用いられた例
安田生命保険が1970年頃に個人情報管理のシステムを構築した際、「年」の処理に西暦を用いると不都合があるとみて、皇紀を使用しました。皇紀を使用したことより、2000年問題の影響を受けませんでした。
安田生命保険 個人情報管理
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国家の日
 ■ 国家の日とは
国家の日(こっかのひ,英: National Day)とは、ある国が、その国にとって最も記念すべき日として定めた記念日のことです。多くの国では、独立記念日、建国記念日など、その国の歴史上重要な出来事があった日を国家の日としています。また、その国の守護聖人の祝日や君主などの誕生日を国家の日とする国もあります。君主の誕生日を国家の日とする国では、代替わりごとに国家の日がかわることになります。多くの国では、国家の日は年に1回。ほとんどの国では、国家の日は祝日とされています。
日本 国家 守護聖人
 ■ アメリカ
7月4日 独立記念日
Independence Day
1776年大陸会議でアメリカ独立宣言に署名がされた日。
アメリカ 独立
 ■ イタリア
6月2日 共和国記念日
Festa della Repubblica
1946年国民投票により王制に代って共和制を政体とすることを決定。
イタリア 日 国民投票
 ■ 大韓民国
8月15日 光復節 1945年ポツダム宣言により日本から解放された日。
10月3日 開天節 紀元前2333年、建国神話において檀君が古朝鮮王国(檀君朝鮮)を建国したとされる日。
大韓民国 ポツダム宣言
 ■ フランス
7月14日 パリ祭
1789年バスチーユ牢獄襲撃・政治犯解放でフランス革命が始まった日。
フランス 記念 フランス革命
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初代天皇、神武天皇
 ■ 神武天皇とは
神武天皇(じんむてんのう 紀元前711年 - 紀元前585年)とは、古事記・日本書紀に記されている日本の初代天皇でのことです。

在位:紀元前660年2月18日〜紀元前585年4月9日(建国記念日の2月11日は神武天皇即位の日)。この紀元前660年が皇紀元年として定められています。
古事記 日本書紀
 ■ 名称
神武天皇と言う諡号は、漢風諡号を持たない元正天皇までの44代(弘文天皇と文武天皇を除く)に対して、奈良時代の文人「淡海三船」が漢風諡号を一括撰進して以降呼ばれるようになりました。つまり死後に贈られた名称であるので、実際に神武天皇と呼ばれたことはないはずです。

古事記では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)。日本書紀では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、狹野尊(さののみこと)、彦火火出見(ひこほほでみ)の名で呼ばれています。
淡海三船
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2月11日のその他の記念日
 ■ 万歳三唱の日
その日、憲法発布の記念式典に出席する明治天皇を、東京第一高等中学校の生徒一同が宮城(皇居)の前で、お出迎えしようと考えていました。

こういう時、外国では元首に叫ぶ歓呼の言葉がありましたが、当時の日本にはまだありませんでしたので、大学の先生たちが集まって話し合った結果、「万歳、万歳、万々歳!」と叫ぼうという事になりました。

そして、当日・・・明治天皇が近づいて来られたろの時、生徒たちは、はりきって「万歳!」と第一声を高らかに叫んだところ、その声に驚いた馬が棒立ちとなってしまい、自然と第二声めの「万歳」はメッチャ小さい声に・・・そして、三声めの「万々歳」は叫ばれる事なく終ってしまったのです。

・・・で、それ以来、万歳を叫ぶ時は、「万歳」だけが3回繰り返される『万歳三唱』となったという事です。

事前に、馬の前で、一度「万歳三唱」の練習をしておけけば、今も「万歳、万歳、万々歳!」という「万歳三唱」になってたかも知れませんね。
万歳
 ■ 文化勲章制定記念日
1937(昭和11)年のこの日、文化勲章令が定められ、文化の発展に優れた業績をあげた各界の人に文化勲章が贈られることになりました。
文化勲章
 ■ 干支供養の日

干支置物等を製作している陶磁器メーカー・中外陶園が制定。

立春の直後で、十と一を組み合わせると「土」になることから、一年間大切に飾られ厄を払ってくれた干支置物に感謝し、元の土に還す日。

陶磁器 厄除け







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