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神田祭
■ 神田祭とは
■ 神田祭の起源
■ 神田祭の見どころ
神田明神
■ 神田明神とは
■ 一ノ宮
■ 二ノ宮
■ 三ノ宮
神輿
■ 神輿とは
■ 神輿の担ぎ方
身だしなみ
■ 半纏(はんてん)
■ 手ぬぐい
■ 足袋・わらじ
江戸っ子
■ 江戸っ子とは
■ ことわざ
神田祭
 ■ 神田祭とは
『神田明神』の名で親しまれている神田神社で、2年に1度開催されるのが"神田祭"です。神田祭開催年の2011年は東日本大震災で中止になったため、2014年の神田祭は4年ぶりに開催されます。
神田神社は千代田区外神田に位置しています。日本橋の町会も多く参加し、"神幸祭""神輿宮入"が行われる2日間は大変な賑わいをみせます。
日枝神社の山王祭、富岡八幡宮の深川祭と並んで、江戸三大祭の一つとされています。また、京都の祇園祭、大阪の天神祭と共に、日本の三大祭の一つにも数えられています。現在は5月中旬に祭りがかいさいされていますが、本来は旧暦の9月15日に行われていました。
神田明神 神田祭 三大祭 東日本大震災
 ■ 神田祭の起源
神田祭の起源は記録文書等がほとんどのこされていないため詳細は不明ですが、大祭化したのは江戸時代前後のことです。慶長5年(1600年)、石田光成との天下分け目の関が原の合戦で、徳川家康の戦勝祈願を神田神社が行い御守を授けました。9月15日の合戦勝利を記念して、以後毎年のこの日に神田祭が行われることになりました。それにより家康の特に崇敬するところとなり、社殿、神輿・祭器が寄進され、神田祭は徳川家縁起の祭として絶やすことなく、盛大に執り行うべきことが仰せ付けられました。
起源 祭 徳川家康 祈願
 ■神田祭の見どころ
<江戸下町大行列>
三基の鳳輦(ほうれん)・神輿を中心に、神田・日本橋などの氏子108町会を、約30キロにわたって巡行します。夕方には、日本橋三越前にて附け祭と合流し、数千人規模の大行列が神田明神へ向かいます。

<朝から晩まで宮入>
各地区を巡行した氏子の神輿が、朝から晩まで続々と神田明神に宮入します。神田祭最大の見どころであり、神社境内が人々でたいへん溢れかえります。

<巨大な鬼の首とナマズ>
江戸時代に人気があった、巨大な鬼の首(大江山凱陣)や、ナマズ(大鯰と要石)の曳き物がバルーンによって現代に復元され、附け祭で曳き回されます。狛犬や花咲かじいさんの曳き物などもあり、天下祭といわれた賑やかな行列が復活します。

<電気街秋葉原を埋め尽くす>
電気製品とサブカルチャーの街として有名な秋葉原が、神輿と担ぎ手、観衆で埋め尽くされます。中央通りで行われる外神田連合式典(おまつり広場)は、普段とは違うまちの様相を見せます。
江戸 下町 ナマズ 大江山
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神田明神
 ■ 神田明神とは
神田明神は江戸東京に鎮座して1300年近くとても古い歴史をもった神社です。江戸時代には、「江戸総鎮守」として、将軍から江戸の庶民にいたるまで江戸の全てを守護されました。現在においても、東京の神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内など108の町々の総氏神様として、江戸の素晴らしき伝統文化を保ちつつ、それでいて絶え間なく発展と創造を繰り返す、この東京都心をお守りしています。
一ノ宮に大己貴命(おおなむちのみこと:だいこく様)、
二ノ宮に少彦名命(すくなひこなのみいこと:えびす様)、
三ノ宮に平将門命(たいらのまさかどのみこと:まさかど様)
の3柱を祀られています。
将軍 江戸 氏神 伝統文化
 ■ 一ノ宮
一ノ宮には大己貴命(おおなむちのみこと)が祀られています。
縁結びの神様で親しまれているだいこく様です。天平2年(730年)にご鎮座されました。国土開発、殖産、医薬・医療に大きな力を発揮され、国土経営、夫婦和合、縁結びの神様として崇敬されています。また祖霊のいらっしゃる世界・幽冥(かくりよ)を守護する神とも言われています。大国主命(おおくにぬしのみこと)という別名あり、島根県の古社・出雲大社のご祭神でもあります。国土経営・夫婦和合・縁結びの神様としてのご神徳があります。
縁結び だいこく
 ■ 二ノ宮
二ノ宮には少彦名命(すくなひこなのみいこと)が祀られています。
商売繁昌の神様で親しまれているえびす様です。商売繁昌、医薬健康、開運招福の神様です。日本に最初にお生まれになった神様のお一人・高皇産霊神(たかみむすひのかみ)のお子様で、大海の彼方・常世(とこよ)の国よりいらっしゃり、手のひらに乗るほどの小さなお姿ながら知恵に優れ、だいこく様とともに日本の国づくりをなされました。
開運招福 医薬 健康 商売繁盛
 ■ 三ノ宮
三ノ宮には平将門命(たいらのまさかどのみこと)が祀られています。
除災厄除の神様で親しまれているまさかど様です。延慶2年(1309年)にご奉祀されました。平将門公は、承平・天慶年間、武士の先駆け「兵(つわもの)」として、関東の政治改革をはかり、命をかけて民衆たちを守りました。明治7年(1874年)に一時、摂社・将門神社に遷座されましたが、昭和59年に再びご本殿に奉祀されました。東京都千代田区大手町・将門塚(東京都指定文化財)には将門公の御首をお祀りしてあります。
平将門
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神輿
 ■ 神輿とは
神輿とは簡単に言えば"神の乗り物"という意味です。
そもそも「輿(こし)」とは、板を置いた台を2〜4本の棒で担ぐ乗り物のことを意味しています。その"輿"に紙がお乗りになるときに、敬意を払って「神輿」というのです。神社の祭礼で担がれる神輿には、産土神(うぶすながみ)が遷座しておられます。普段は神社の神殿の中におりますが、祭礼の時に宮司の祝詞に答えて神社神輿にお移りになられます。
町神輿というのは、その身分をお借りするために"御霊入れ"をしていただき、町内を練り歩き、神様のご加護をいただきます。その祭礼を終えるに際して神様を神社にお返しする儀式が「宮入」です。「御霊返し(みたまがえし)」という場合もあります。
神輿 宮入 町内会
 ■ 神輿の担ぎ方
<千鳥担ぎ>
新宿十二社、熊野神社の担ぎ方です。
担ぎ声は「おいさ、ちょいさ」が主。「よいとぉ、よいとぉ」「どしたい、どしたい」軽快なリズムと先棒の担ぎ方が特徴的です。 肩の上に置くのではなく、首の後で受け止め、両手を添えます。腰は折らず、足をチョイチョイ出して進みます。

<わっしょい担ぎ>
水掛祭りで有名な、深川神明宮・富岡八幡宮の担ぎ方です。
担ぎ声は「わっしょい」。定番ともいえる掛け声ですね。神輿を差し上げる時には、一度地面近くまで下げてから、勢いよく差し上げます。とても勢いのある担ぎです。
この地域では「神輿はわっしょいだろう」と云う人は少なくない。ここでは、「そいや」は禁句だそうです。

<四ッ谷担ぎ・さっさ担ぎ>
大枠は千鳥担ぎと同じです。四ッ谷須賀神社の担ぎです。
「さっさっさっさ…おいさ」の担ぎ声で始まります。担ぎ手が少なく、睦によっては、江戸前担ぎをしているそうです。

<城南担ぎ・横田担ぎ・カニ担ぎ>
鮫洲八幡神社・大森神社など、品川地域に多い担ぎ方です。
カニのように横に広がっているイメージです。長いトンボが6本、そして太鼓が付いています。担ぎ手は進行方向ではなく、神輿に向かって担ぎます。担ぎ声は「ちょいちょい」と太鼓にリズムに合わせます。

<江戸前担ぎ>
東京中心に定番な担ぎ方です。今回ご紹介している神田祭をはじめ、三社祭・鳥越祭などで使われています。
担ぎ声としては「そいや、そいな」「うり、ふり」が主。担ぎ手は、腰でリズムをとり、神輿を揉みます。

<横田担ぎ>
羽田神社、大田区の六郷神社など、羽田地域に多担ぎ方です。
担ぎは荒く、大波に揺られる船のようです。4本あるトンボの担ぎ手たちが、跳びはね、振る場面がとても迫力があります。担ぎ声は「横田でおいで〜おいっち、にい、さん」などです。
わっしょい 熊野神社 江戸前
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身だしなみ
 ■ 半纏(はんてん)
半纏は「絆纏」とも書きます。絆(きずな)を纏うという意味です。お揃いの半纏を着る事で、連帯感が生まれ、神輿担ぎにもいっそ気合いが入ります。半纏を纏わないと神輿は担げません。それが絶対条件になります。
半纏
 ■ 手ぬぐい
手拭いは、手を拭く・汗を拭くといった使い方ではなく、「かぶりもの」として頭に巻きます。昔は、頭をむき出しにすることが非礼と考えられていたそうです。その為、当時から神輿や祭りに際しては、不浄な頭を被る意味で用いられていたようです。また様々な被り方があります。手拭いは、睦ごとのデザインもあり、名刺代わりに使用するそうです。
手ぬぐい 名刺 ケース
 ■ 足袋・わらじ
また、足袋を履く理由としては、みこしを担いでいるときは人の足を踏んだり、踏まれたりすることがすごくあります。その時に草履や雪駄を履いていると、脱げてしまうことがあったり、すごく痛かったりします。そんな時に足袋を履いていると脱げることはまず無いし、踏まれても直接皮膚を踏まれないのでそこまで痛くありません。安全のためにも履物は足袋にしましょう。
足袋 わらじ 靴下
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江戸っ子
 ■ 江戸っ子とは
江戸東京(特に下町)で生まれ育った人のことをいいます。厳密にいうと3世代以上東京に住んでいる人のことをさします。親の代から東京在住では、東京生まれでも江戸っ子ではありません。
これは"粋"という東京文化が一代では理解できないからと言われています。
・祖父の代で"粋"を学ぶ
・親は祖父から"粋"を受け継ぎ、本当の意味で"粋"を理解する
・ようやく三代目で"粋"な親の背中を見て育った子供が江戸っ子として認められる
ということです。
江戸っ子 粋 江戸 東京文化
 ■ ことわざ
〜江戸っ子は宵越しの金は持たない〜
その日に稼いだお金は翌日に持ち越すことなく、その日中に使い果たすという意味です。あまり思い悩んでクヨクヨしない、お金にキレイでお金離れが良いという江戸っ子の気風の良さを表しています。しかし理由は他にもあります。"火事と喧嘩は江戸の花"と言われるほど火事が多かった江戸の町は今の銀行のようなものがないため、コツコツ貯金していても一晩で無くなってしまうということがありました。また天気によって仕事の有無が左右される職人や、屋台や棒手振りの商人などもその日その日で収入が違います。そんな日常を少し粋がって表現していたのかもしれません。もちろん、きちんと貯金をして将来設計を立てていた人もたくさんいるわけですから、必ずしも江戸っ子が無計画に生きていたということではありません。お金のことをいつまでもグズグズと言わないという、江戸っ子の心意気を表しています。

〜江戸っ子は五月の鯉の吹き流し〜
このあとに「口先ばかりではらわたはなし」と続きます。5月の空に泳ぐ端午の節句の鯉のぼりや吹流しは、お腹の中は空っぽですね。「威勢よくポンポンとモノを言うけれど、お腹の中に何か残したり、悪巧みをすることはなく、さっぱりしている」という気性を鯉のぼりになぞらえて表した言葉です。粋でいなせを身上としている江戸っ子は、お世辞を言うことが苦手で、さらに口の悪さが愛情の裏返しだったりするから複雑です。現代でも東京っ子は、早口でハギレのよい話し方が特徴ですね。
ことわざ辞典 ことわざ 英語 江戸 火事 早口
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